Saturday, May 31, 2008

transformational experience - women 2

もう一人、ドラマチックな展開を遂げた友人の紹介 ―

NYの金融界でキャリアをつんだインド系アメリカ人のモニカ。進学前は年収$100k超、仕事、恋愛、etc.、文句ナシの生活のはずなのに、ただ時間が過ぎていくだけのもどかしさ。そんなとき祖国インドを旅行して何かがしっくりきた。初めての訪問ではなかったけど、人々の生活向上の力になりたい。曇っていた生活に太陽が差し込んだ。

開発の勉強も平行してできるジョージタウンに進学。ワシントンは世界中の国際機関やNGOが本部を置く特殊な街。開発の専門家へのアクセスは抜群で、業界のネットワークを広げる可能性も十分。

夏のインターンはマイクロファイナンスを中心とした開発支援団体で3ヶ月間ヨルダンで過ごす。仕事の経験はよかったけど、伝統的に女性の権利を殆ど大切にしないイスラム社会での生活は不当な扱い、不快は思いをすることが多く、二度としたくないと言っていたのが印象的でした。

インドでマイクロファイナスをしたい、というかなり明確な目標にむかって、2年目はおとなりの外交政策学部や公共政策学部で関連するコースを積極的に履修。教授・専門家にも精力的にアプローチし着々と理想の仕事に王手。

余談ですが、彼女は私のよきrunning buddyで、毎週一時間くらいのコースを計画してスニーカーで市内観光。リンカーンメモリアル、キャピタルヒル、イースターンマーケット、桜の季節はジェファーソンメモリアルを周回。ポトマック川沿岸や市内にまだらに広がる森林地帯を抜ける泥道のトレールを走り抜け、日ごろのストレスを解消。ゴールはあらかじめ目をつけておいたブランチスポット。汗だくのまま、オシャレレストランでモリモリ回復。満足感いっぱいでメトロで帰宅するルーチンはなんとも名残惜しい。

さて、4月も終盤。仕事が決まってない人は総出でソワソワ。モニカも二年間の成果を発揮できるか、心落ち着かない様子。「やることはやった、きっと大丈夫」と自分に言い聞かす。それでも待つときの時間はじれったいほどゆっくり流れるもの。「金融業に戻るくらいならバリスタにでもなるわ」「世界を放浪するわ」、と不安を表す。

インターンした団体は予算問題とマネジメントの優柔不断さで、可能性は不透明。この手のNGOは就職希望者が多く、イメージとは裏腹に、ムカつくほどsnobby らしい。それでも諦めずにアプローチを続けた。やっと面接がいくつか決まったと聞いたのは卒業式直前。粛々と卒業式も終わり、仲間が一人ずつワシントンを離れていくのをみながら、「さみしくなるわ」と漏らす彼女。

そして先日、ついに彼女も希望通りの仕事をゲット!社員約100人、数年後にIPOを目指す開発支援会社の、インド国内の新しい地域に進出する部署のリーダー。マネジメントレベルで、待遇もグッド。「責任が大きいからすごく不安。でもチャレンジングであることが何よりうれしい。」年収はダウンしたけど、走りながら話す彼女の大きな目は、太陽の日差しもあってかいつも以上にキラキラ。つられて私もワクワク!

仕事を求めアメリカに移住したご両親は、現在ニュージャージーで酒屋を営む。なかなかお店を空けられないから卒業式も日帰りで出席し、そのときに私もご挨拶。大志を抱いて逆に故郷に帰っていく娘をみてどんな思いなのかなぁ。

振り返ると私達は大学院で非常に多くの機会を与えられていた。でも選択肢が多いのはやっかいなときもあって、例えばスタバにいくと考えるのが面倒でつい同じものを注文してしまう。シロップ、ミルクの濃度、ショットの分量、本当は自分にとって最高のコンビネーションがあるかもしれないのに。彼女は飲みたいものを頭に描いて進学し、様々な可能性や機会を確実に活用して最高のモニカチーノをつくりあげた。

そしてついに最後のブランチ。学費と2年の時間…進学は良い決断だったか?それは卒業後の自分次第。10年後、必ずお互い良い決断だった笑顔で言えるようにしよう!といってしばしの別れを告げました。

erikon '08

Thursday, May 29, 2008

この二年間の感想


自分がもともと持っているスキルを向上させる為に来た他の日本人学生と違い、私がMBAを取りたかった理由は、基本的なスキルを持っていないので、MBAの勉強を通して進んだ技術や知識を修得することでした。初日は、自分がどこまで出来るのかということを心配しましたが、誰にも負けたくないという気持ちで、ジョージタウン大学MBAプログラムに参加しました。学費は非常に高ので、そのお金やお時間を無駄にしないように頑張りました。

初めの課題はジョージタウン大学のキャンパスではなく、ワシントンから一時間離れた会議場で5日間のインターグレーティブという合宿でした。このインターグレーティブでは様々な国から来たジョージタウンMBAの学生と6人のチームを組んで、一緒にコンサルティングケースを作り、他のチームと競い合いました。負けたくなかったので、あまり寝れずに大変でしたが、最終的には、準決勝まで進みました。

MBAの最初の一年間は非常に大変だと言われていたので、心の準備をしましたが、言われた通り大変でした。ファイナンスの授業は得に時間が掛かりましたし、ケースメソッドは私にとって新しい勉強方法であった為、最初は慣れませんでした。しかし、MBAのペースに徐々に慣れて来たので、勉強が楽しくなりました。学校での勉強だけではなく、ジョージタウンに関連する会社のコンサルティングプロジェクトもたくさん提供してもらえるので、一年生の時、三つのプロジェクトに参加しました。

MBAの学生は一年と二年の間に、会社でインターンとして働きます。私のインターンシップ先はノースウェスト航空会社のマーケティング部でしたので、一年間で学んだことを本当の職場で実践できました。

二年の時、マーケティングではなく、ファイナンスを勉強し始めました。 それを決断したきっかけは合併買収の授業を取り、初めてファイナンスのことが面白いと思ったことです。その後、教授や友達の意見やアイドバイスをもらった上で、ファイナンスの分野で就職活動を開始しました。いい仲間のおかげで、投資銀行の就職が決まり、7月から仕事が始まります。

この二年間の経験を通して、MBAの三つのいい点に気が付きました。一つ目は授業、学校、インターンシップ、 コンサルティングプロジェクト、ジョージタウンに来て頂いた専門者の話を聞くことによって、様々なビジネスを学べることです。二つ目は世界的に有名な教授との関係を築くことにより、新しい考え方を持てることです。そして、一番大事なのは、学校で人生に残る友達を作れることです。

もしMBAに入ることを悩んでいる方にこのブログを読んでいただいていれば、MBAの8万ドルの投資をお勧めいたします。MBAの教育費用は非常に高いですが、人生を変える投資だと思います。

この二年間、お世話になった学校、先生、友達、本当に有難うございました。

キング (’08)

Tuesday, May 20, 2008

transformational experience - women, too!

唯一の日本人女性学生として、女性の視点からみたMBA生活をいくつかご紹介しようと思います。いずれもアメリカ人女性のケースなので、日本から留学する方にはあまり参考にならないかもしれませんが、こうしたクラスメートと一緒に勉強することもあるかもしれない留学生活。想像を膨らます材料になれば幸いです。

28歳、コネチカット州出身の白人アメリカ人の親友はMBAで、人生の舵を大きくきりました。入学前は弁護士事務所のスタッフで年収4万ドル。やりがいを感じていたけど、もっと大きな変化をもたらしたい。仕事で低所得者層の子供の劣悪な生活状況・教育水準を目の当たりにし、正義感あふれる彼女はコミュニティーデベロップメントの分野で力を発揮したいと、MBAに進学。

期待と違うMBA生活に頭を悩ませ退学を考えたり、コアのFinanceの期末試験の前は不安で涙を流したり。それでも、アメリカ最大の非営利団体のネットワーク、Net Impact のジョージタウンMBAの支部長としていろいろな改革を進めたり、しっかり者の彼女は学生ローンをくんで、足りない月は少ない時間をやりくりしてバイトまでこなす。ロマンスを楽しむ時間もあった彼女。

無事一年目を修了し、夏休みのインターンはニカラグアで開発プロジェクトを行っている非営利団体でポジションをゲット。トータルで1ヶ月半近く、現地で活動していたようです。

1年目と夏休みの経験をしっかりと消化する前に、あっという間に二年目に突入。ジェットコースターに乗ったら、シートベルトを確認する前に発車してしまったような気分で、互いに(授業のとり方によりますが)「1年目よりラク」というのはまったくのデマだね、とよく言っていたのを思い出します。

90度直下や宙返りを何度か経て、みんなよりも遅く、やっと3月中ごろから就職活動を始めた彼女。MBAホルダーなのに、「Finance」にアレルギーを抱いたまま卒業はできないと、最後になってAdvanced Corporate Finance のコースをとり、Financeへの嫌悪感を払拭した頃。なんだかピンときてapply した中堅の銀行からすぐによい返事が。3週間以内には本社での面接も済み、第一志望のポジションをゲット。

年収は以前の3倍。進学していなかったら、同じ年収を得るまでにどれだけかかっただろうか。これで進学前に抱えていたcredit card debt、卒業後にのしかかるstudent loan payment のプレッシャーから解放され、今まで手が届かなかった広い住宅やワンランク上の車...一年半、経済的にやりくりしながら勉強していた彼女の満足感・達成感・安心感で溢れ、恍惚とした表情をみて私もほろり。よかったねー!

Teach For America や、二年前の彼女だったらゼッタイ引き受けていたような非営利団体からのマネジメントレベルのオファーを全て一蹴。彼女によると、就職する銀行は地元密着型で地元のビジネスをかなりサポートしているそう。社員もがつがつしていなく、田舎に本社をおいたままにしているところが、彼女の性に合うみたい。想像していなかった形でだけど、コミュニティデベロップメントに貢献できることでわくわく。

そう、二年前に想像していなかった世界が目の前に広がっているというのが、私達の共通の意見。そうした世界が存在していなかったわけではなく、それを見る・理解する視点が私達に欠けていた。$$の入場料を払って、100階から200階まで高速エレベーターで上がってみたら、100階ではみれなかった山や海の向こうの景色が見えるようになった。さらにいままで知らなかった300階まであがるチケットを買う選択肢もできた。彼女の目下最大の懸念は、二年前から100階にいるままのボーイフレンドと暮らし始めるべきかどうか。

長くなってしまったので、もう一人の友人の例はまた今度につづきます。

erikon '08

Thursday, May 08, 2008

Ready to Leave

すべて、ものごとの終わりは次の始まりだな、と最近つくづく思う。

辛く苦しくたいした達成感もなかったGMAT、そしてやれEssayだInterviewだと年末年始返上で取り組んだ受験活動が終わり、それと同時に日本で仲間とともに毎日汗を流していたお仕事の世界とも一時の別れを告げて、「新しい」生活としてのWashington D.C.でのMBA生活をスタートさせたのが2年前。もうそれが終わろうとしている。気持ちのほとんどは、始まろうとしている日本での「新しい」生活に向いている。

MBAでの生活は、予想に違わぬところもあったし、それ以上のものも、またそれに満たないものもあった。要は、予想はそんなにアテにできないということ。ただ最近考えるのは、自分の中での変わらない部分と変わる、もしくは変える部分の按分について。予期したものとは違う環境であったとしても、軸を変えず、最大の結果を収穫しようとする姿勢と。または、現実に則して自分の姿勢を変え、環境の利点を最大化する努力と。両方の必要性を改めて感じている。変える/変えないのバランスは人によって違うんだけれど、こと自分のこの2年間については、納得いく過ごし方が出来たと満足している。

Georgetownの良さや特徴は、このブログ等で多々語られている通りなので繰り返さない。さてそのGeorgetownを選んだ2年前の選択は、正しかったんだろうか。そう考えていると、ふと、就職活動時に頂いたある組織のリーダーの方の言葉が思い起こされた。

There are never any bad decisions until you make it bad. There are never any GOOD decisions unless you make it good.

Georgetownという選択は、少なくとも、かなり容易にGOOD Decisionにすることができる選択だった。うん、実際いい選択だった。

もう一回MBAを経験できるとすれば、どこを選ぶか。強欲で好奇心旺盛なので、もうGeorgetownは選ばない(笑)。色々経験したいに決まっているので、西海岸もいいし、んーもっと田舎の学校もいいなぁなんて考えるだろう。ただ次の人生で、受験するMBAを3つ挙げろと云われれば必ずその一つには入ってくる、そんな感覚かと思う。

Washingtonエリア、Georgetownという街、校舎Car Barn、そして同級生はもちろん教授陣やスタッフなど、お互いに影響を与えあった人たち、全てにお礼を言いたい。ありがとう。いや、英語の方がいいか、Thank you!
また日本に戻って働く日々、同じように見えるけれど、「新しい」自分を持って帰れそうだ。

K ('08)




Saturday, May 03, 2008

Japan Trek その6 / Reunion

Japan Trekが終了して約1か月半経った4月中旬、TrekkerとそのSignificant Otherを招いてのReunion Partyを開催しました。テスト直前という忙しい時期にもかかわらず、40人もの人たちが集まってくれました。

今回のパーティーは、あるアパートのパーティールームを貸し切ってのPotluck Partyです。Potluck とは、ご存じかもしれませんが、各人が自由に料理を持ち込んでの立食パーティーです。一応3~4名でグループを作って、前菜、メイン、デザートを一つのグループがそれぞれ持ってきてもらうようお願いしました。逆にいえば、これ以外の持参する料理にについてのルールは一切ありません。

おかげで個性が出る出る・・・例えば、アジア系アメリカ人のT君は、手作りチキンカレーで私達をうならせてくれたし、ナイジェリア出身のO女史は、「手作りは疲れた!」と豪語しながら、ファストフードで購入したとあからさまにわかるラッピングと共にフライドチキンを持参していました(笑)。私はというと、料理が全く駄目なので、肉じゃがを妻に作ってもらって持参したところ、意外に好評でほっとしました。(いえ、決して妻の料理が心配だったわけではなく、アメリカ人の中には醤油ベースの食事をあまり好まない人もいるからです・・・)

歓談が盛り上がってきたころ、プロジェクターを使って皆にTrek期間中の写真を披露しました。私はReunionの幹事として、皆が撮影した一千枚以上の写真の中から、80枚程度を厳選する作業を行っていたのですが、素晴らしい写真が多く、捨てがたい写真ばかりであったため、その作業はかなり難航しました。写真を見ていると、たった1か月半しか経っていないのに、はるか昔の気がしました。その感想は皆も同じだったようです。

驚いたことに、会も終わりにさしかかった頃、アメリカ人のE君が、Trekを主催し同行した日本人達に対し、感謝の意を表して心温まるギフトをプレゼントしてくれました!Trekでの集合写真を入れた写真立てと、参加者全員からのThank youカードです。これは心底嬉しかった!

私はアメリカ人はどちらかというとドライで、さほど義理堅くはない人たちと先入観を持っていたのですが、実は決してそんなことはありません。Philadelphia出身のE君は、この夏休みの終盤に、Phil-Trekを敢行すると意気込んでいます。すごく楽しみです。

こうして、固い友情を確かめ合ったReunionは幕を閉じました。次回はアメリカ人のM女史が秋ごろに自宅でBBQパーティーをしようと提案してくれています。

おまけ
最も驚いたのは、こんなに心温まるギフトを会場に堂々と忘れて帰った日本人のM君です。あわててE君に見つからないように回収しました。M君にはKYの称号を捧げます(笑)。